特定秘密保護法について(3)「平和主義」との関係で

最初のブログでは、「特定秘密保護法」は「日本国憲法の基本原理でもある「国民主権」「基本的人権の尊重」に反します」と書きました。

 

そして前2回のブログで「国民主権」「基本的人権」との関係を紹介したので、今回は「平和主義」との関係で「特定秘密保護法」を論じます。

 

連日メディアで問題となっているように、安倍政権は「集団的自衛権の行使」の容認に代表される、アメリカと一緒に海外で武力行使のできるしくみをつくろうとしています。

 

そして、アメリカとの軍事協力を円滑に進めるため、日米間の意思疎通の円滑化を目指しています。

 

その表れが「外交・安保の司令塔」になると安倍首相が位置づける、日本版「国家安全保障会議」(NSC)設置を目指す動きです。

 

さらに、「秘密保持は極めて重要な要素になる。海外のNSCとの情報交換の前提になる」として、「特定秘密保護法」の制定が目指されています。

 

こうした安倍内閣の目的は、2013726日の「防衛力のあり方検討に関する中間報告」や、2013103日の22でも確認できます。

 

岸田外務大臣と小野寺防衛大臣、アメリカのケリー国務長官とヘーゲル国防長官との間の会合である22で、「より力強い同盟とより大きな責任の共有にむけて」が発表されました。

 

そこでは「日本は国家安全保障会議の設立や国家安全保障戦略の発表を準備している。さらに集団的自衛権の行使の問題を含む、日本の安全保障の法的基盤の再検討、防衛予算の増額、防衛大綱の見直し、領土防衛の能力の強化している」と明記されています。

 

これに対して、「アメリカはこのような努力を歓迎する」(The United States welcomed these efforts)と宣言されています。

 

さらには、「情報保全をさらに確実にする法的枠組みを構築しようとする日本の真摯なる努力」も「歓迎される」と明記されています。

NSCの設置や「特定秘密保護法」の設置は、こうしてアメリカとの約束となっています。

 

武力介入が平和をもたらさず、女性や子ども、老人などの民間人の大量虐殺・虐待をもたらすことは、アフガニスタンやイラクへのアメリカの軍事介入でも再び事実で証明されています。

 

アフガン戦争やイラク戦争でも、アブグレイブやファルージャに代表されるように、豆理科軍などの攻撃で多数の民間人が犠牲になり、米兵による非人道的虐待も問題となりました。

 

日本もこうしたアメリカと一緒になって民間人の虐殺・虐待に加担することになっても良いのでしょうか?

 

さらには、アメリカとの軍事的一体化を強化する一環として制定される「特定機密保護法」のような法律を制定することは適切なのでしょうか。

 

(飯島滋明)